夏目漱石「こころ」に見える権力のハナシ(2)
この記事の続きです↑
夏目漱石の「こころ」に現れている権力観を語るために、歴史上でこれまで語られてきた有名な権力論をポンポン紹介してきたのでした
前回ラズウェルの権力論までお話ししたので、次は「権力の関係概念」です
今回も、こちらのサイト様が詳しい解説をして下さっているので、適宜引用させて頂きたいと思います↓
権力論について
権力の関係概念
「権力の実体概念」は、権力の源がある、何らかの力を持ってるからその人には権力があるって考えるやつでした
これに対して、権力の源があるんじゃなくて、権力は人間関係で決まるんだって言った人がいます
ロバート・アラン・ダールっていうアメリカの政治学者です
(参照:政治を考える。 - 園芸研究家日記)
この人が唱えた「権力の関係概念」の解説を、ちょっと引用させて頂きます
医師→教師、教師→生徒の間に権力関係があっても、医師→生徒の間には権力関係がない。そのような人間関係にないからだ。
権力関係が生まれるには、上下関係みたいなパワーの差が必要だよっていうことですかね??
ダールは
「他からの働きかけがなければ、Bがしないであろうことを、AがBに行わせることができたとき、AはBにたいして権力を持つ」
っていうふうに説明してます
こういうパワーバランスって、社会の中にたくさんありますよね
それぞれの人がそれぞれの適材適所で役割に徹する中で、誰かが誰かに命令することって多いと思います
それでもってその命令に従わざるを得なかったり、、、
暗黙の了解で成り立ってる上下関係ってたくさんあると思うんですよね
そんな風にたくさんの権力が多元的に存在しているのが今の社会で、これを「権力の多元主義」っていうそうです
っていっても、なんかやっぱり難しいですね・・・
とりあえず図にするとこんな感じになるらしいです↓
(図の参照元:加藤秀治郎『政治学の基礎』一藝社 p11)
右の「実体概念」の方は、権力者が他の人たちを服従させる形で、服従者に対して一方的に強制力が行使されてます
一方で関係概念の方は、両者の間に一方通行の関係があるんじゃなくて、権力行使が相手の出方によって変わります
権力者・服従者の双方が心のなかで相手をどう評価するかによって、権力関係そのものが変わってしまう
教師が生徒に指導するとき、生徒は教師の指示に合意したうえで、それに従いますよね
そんなふうに相互作用があるのが、関係概念なんだそうです
マックス・ウェーバーの権力論
この図を最初にご紹介しました
(図の参照元:公務員試験・政治学基礎講座2013の講義案(メモ) その1 権力 - NAVER まとめ)
支配関係を「正当化」する「正当性」があって、これが強固だと権力は安定するっていうお話でしたよね
この支配を正当化するものについて、ドイツの社会学者マックス・ウェーバーがなんかすごい考察をしています
ちょっと今からご紹介しますね
ウェーバーは支配の正当性に3つの型を示しました
カリスマ的支配、伝統的支配、合法的支配の3つです
それぞれについて
カリスマ的支配が→人の超人性に
伝統的支配が→人の人性に
合法的支配が→人の没人性に由来するとウェーバーは言ってます
って言われても、「はい・・・?(。・д・。)」って感じですよね
とりあえず図にしてみました↓
一つずつ説明していきま~す
カリスマ的支配
これは誰かが人より身体が大きかったり、粗暴だったり、人よりも容姿が優れてたり、人よりも頭が良かったりして他の人を超えてしまうと、その人の支配がカリスマ的な超人の支配として正当化されちゃうってやつです
ジャイアニズムが典型ですよね
超人的な力が根源にあるので、超人性に由来してるってことになります
ちょっと話が反れますが、個人的には栄枯盛衰、禍福は糾える縄の如しを信じてるので、強い人がずっと得をするわけでもないんだろなあって思ってます
今までいろんな人に出会って、いろんな人生に触れてきましたけれど、やっぱり最後は、周りを大事にできる人が一番強いんだって確信してます
( ˘⊖˘) .。oO(・・・そういうものにわたしはなりたい)
ミツムジ
伝統的支配
これはどんなものかというと、例えば家父長制度↓
かふちょうせい【家父長制】
家長(父とは限らない)が家族に対して絶大な権力をもつ家族制
(引用元:「世界史辞典 三訂版」旺文社)
こういうふうに誰かが家族の上に立ったりとか、皇帝が民衆を支配したりとかが典型です
しきたりとか習わしとかの伝統的な慣習もそうですし、長いあいだ継続されてきたものを根拠にして正当化される支配のことらしいですよー
人の人ゆえの力が支配を可能にするので、人性に由来するって感じみたいです
合法的支配
これは行政とか官僚による支配のことで、法律を根拠にした支配のことです
自分ではない組織の決定として自らを消し去ることで支配が正当化されるので、没人性(人じゃないもの)に由来してるって感じになります
・・・んで?
ここまで、漱石が生きた時代にあった権力論をドバドバ紹介して参りました
前置きが異様に長くなりましたが、なんかドバンドバン挙げてきた権力論の中で、どれが漱石の権力観に一番近いのかなあって話でしたよね
でも、私は正直にいって、ここまでの流れを理解するのに脳みそがもうパンパンです
多分このままいったら破裂します
ですのでごめんなさい!!!!!
また次回、本題の「こころ」に見える権力について話していくのでよろしくお願いします(><)
本日も最後までお読み頂き、本当にありがとうございましたm(__)m
<引用元・参考文献と参考URL>
- 夏目漱石『こころ』(岩波文庫)
- 夏目漱石『私の個人主義』(青空文庫)
- 森元孝『理論社会学 社会構築のための媒体と論理』(東信堂)
- 加藤秀治郎『政治学の基礎』(一藝社)
- マックス・ウェーバー『職業としての政治』訳:西島芳二(角川文庫)
- 濱井修 監修、小寺聡 編『倫理用語集』(山川出版社)
- http://naver.jp/odai/2134058386510383701
- http://seesaawiki.jp/koumuinsiken/d/%B8%A2%CE%CF%A4%C8%B8%A2%B0%D2