ミツムジブログ

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嫌がらせの乗り越え方 最終章 (バリポイント制~解決編)

 

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前回までのあらすじ

引きこもり脱出後、

 

『夢の大学生活を謳歌できる・・・!』

 

そんな期待感に胸を膨らませウキウキ気分で大学生となったミツムジを迎えたのは・・・

 

 

「まさかの嫌がらせ」の数々

 

 

迫り来る罵詈雑言にはかないメンタルがご臨終を迎えようとしたため、

 

このままではいけない・・・!

 

思い立ったミツムジは不運な状況を乗り越えるべく孤軍奮闘した

 

 

 ・・・しかし苦肉の策で思い付いたボーリング思考法が不発に終わった上、さらには野菜イメージ術もあえなく失敗、、、

 

 

己のふがいなさを嘆くしかないミツムジだったが、彼はコリも懲りずに新たなイメージ法の開発に取り組みはじめるのだった――。

 

 

(これまでのあらすじについて、詳しく知りたいという方はこちらから見れます↓)

www.mitsumuji.com

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バリポイント制との出会い

あらゆるイメージ法を試しておきながら

なかなかどうして上手くいかなかった・・・

そんな私は、

ここにきて

行き詰まってしまいました。

 

 

「ピンをなぎ倒すつもりで進むのもダメ、

野菜に置き換えるのもダメ。

となるとどうすれば・・・?」

 

 

考えに考えている最中

デスクの上に目をやると、

そこには

行き付けの書店の

ポイントカードが、

無造作に置かれていました。

 

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「ポイントカードかあ、、、

うまく活用できないまま

捨てたりするのに、

お得感目当てで

つい作っちゃうんだよね・・・。」

 

などと考えていたその時、

ある閃きが舞い降りました

 

        ・

        ・

        ・ 

 

「嫌なことでも、ポイント制にすれば楽しく集められるのでは・・・?」

 

 

バリポイント制とは

そんなわけで、ひょんなことから考えついたのが

今回のバリポイント制

 

 

 

バリポイントのバリは、罵詈雑言「バリ」です。

 

 

 

・・・お察しの良い方は、とっくに気が付いてらっしゃるかもしれませんが、要するにバリポイント制とは、次のようなものです。

 

バリポイント制

  • 悪い噂を流される等、何か嫌な出来事にぶち当たるごとに1ポイントゲット
  • ポイントが15貯まったら、自分に褒美をやる
  • ポイントの有効期限→試練を乗り越えるまで有効

 

 

 

 

・・・つまり褒美制ですね💡

 

 

 

 

ご褒美目当てにしておけば、

案外不遇な環境でも頑張れたりします。

 

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各目標ポイントごとに自分への報酬を何にするか設定しておくと、

悪い事態に直面しても

 

また一歩目標ポイントに近づいたぜ、ハッピー☆

 

みたいなノリになってくので、

前向きな気持ちになれること請け合いです。

 

私の場合

ちなみに、私が目標ポイントごとに設定した報酬はこれです↓

15ポイント

⇒ガーナチョコレート5箱買い

 

30ポイント

⇒ミニストップの新作ソフトクリームを食う

 

45ポイント

⇒ミスドの人気ドーナッツ上位3つ全部買って喰らう

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・・・こんな感じで決めておけば、

例え誰から馬鹿にされようと、

そのたびにポイントがサクサク貯まってくので

 

ポイントがあと3つ貯まれば、

ミニストップのアイスクリームが食べれるぜ、うへへ。

 

みたいな感じで楽しい気分で乗り越えられます!

 

 

ご褒美の方に意識をフォーカスしちゃえば、

嫌な思い出もスッキリ☆

本来やるべきことに集中できるというものです。

 

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ところが・・・

そんなわけで、

ミツムジは自分の目標に向かって

邁進していきました。

 

嫌がらせされても、

そんなものは心の中で

適当にさばいてしまって、

 

自分の目標のことだけ考えながら、

やるべきことをやりました。

 

        ・

        ・

        ・

 

ですが、そんな毎日の中で、

ふと

本当にこれでいいのかな・・・?

と思い始めました。

 

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ボーリング思考法も

野菜イメージ術も

バリポイント制も

 

「自分の中に原因がある」

と考えるのではなく

それまでの姿勢を

改めずに突き進む方法なので、

人間関係を改善する

根本的な方法にはなりえません。

 

 

 

現状から目を背けることで

自分の心を守るやり方です。

 

 

 

・・・もちろん

それで乗り切ることができれば、

それで解決としてもよいのかもしれませんが、

それだと

新しい環境に入っても

同じ問題が起こる可能性が高い

と思います。

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・・・そんな訳で、

「もっと心のあり方について

考えるべきなんだ!」

そう気がついた私は、

たくさんの方の価値観に触れ、

勉強を重ねる中で、

次のようなことを学んでいきます。

 

 

溢れる好意は好意から

好意の返報性」というものをご存知でしょうか?

 

自分に好意を抱いている人に魅力を感じる、または相手に褒められることによってその相手に魅力を感じることを、魅力の返報性、または好意の返報性と呼ぶ。

対人魅力の要因 | 社会心理学

 

 

好意は好意を生み出します。

 

 

 

 

 

壁を手で押した時、

 

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作用、反作用の法則で

自分の手に同じだけの力がはね返ってきますが、

それに似ているかもしれません。

 

 

 

ただこの場合、

誰かに与えた好意は、

その与えた誰かから返ってくるとは限りません。

これが人間の不思議なところです。

 

 

 

「情けは人のためならず」

 ⇒情けや同情をかけるのは、当人のためだけにとどまらない

巡り巡った優しさが、いつか将来の自分の元へ、良い形となって返ってくる

 

という意味のことわざですが、

これは何も、さりげない日常の場合に限ったことではありません。

相対立している人間同士の間にだって成り立つのです。

 

 

 

 

だからこそ、

 

「右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」

(マタイの福音書第5章 38-39節、ルカの福音書6章29節)

 

イエスの言葉のように、

敵がい心、利害を越え、

さまざまな負の感情を取り払って、

相手に愛情を持つのが正しいのだと、

そう思います。

 

 

 

 

 

・・・とはいえ、誰かに意図的に好意を持つというのも

、急には難しいかもしれません。

 

 

ましてや、

自分に悪感情を抱いている相手に対して

愛情を持ってみようなどと

努力してみたところで、

感情的に割り切れないこともあるでしょう。

 

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そんな時に、ぜひ知っておいて頂きたいことがあります。

 

好意は時に非対称。

けれど、

見返りを求める気持ちを捨て去って

相手に与える好意は、

それ一つで

完成された愛情になっている

ということです。

 

 

 

好意の非対称性

 

誰かに好意を感じても、

相手が自分に好意を感じるとは限りません、

 

 逆もまた然りです。

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(好意の非対称性は、

森元孝先生の

『理論社会学:社会構築のための媒体と論理』(東信堂)

『媒体「愛」と世界』の章にある

愛の非相称性」を参考にしてます。

社会学者の森先生は、

この本の中で社会の構造を緻密に分析しています。

こちらの本です↓ ”仮想通貨のリアル”についても書かれています。)

 

 

だからこそ、

愛情の問題が起こります。

すれ違い、不満を覚えます。

 

 

 

 

・・・ですが、

見返りを諦めた上で与えていく好意、

 

無償の好意』であればどうでしょうか・・・?

 

 

 

 

好意の連鎖と完全性

 

例えば小さな赤ちゃんが、

母親を無条件に愛し、受け入れるように、

 

相手の環境、生い立ちから全てを受け入れ、

無償の好意を持って接していくと、

 

そこに不満の気持ちなど一つもなく、

好意だけが伝染していきます。

 

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やがてその好意が、プラスの感情のみを持って、人から人へ伝わっていきますが、

その途中、

負の感情をどこにも生みません。

 

 

その上で、

自分が誰かにあげた好意は、

巡り巡って戻ってくることもあるでしょう。

 

 

 

 

すると、

一方的に与えただけの好意が、

それ一つで

完全な愛情になっていることに気が付きます。

 

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相手を無条件に好きになることで、完成された好意を見出せるなら、

そのひたむきな純心さが

自分の心も救ってくれるのではないでしょうか?

 

 

 

 

・・・ところで、

私は最初に「好意の返報性」について書きましたが、

 

これは逆の場合、

「悪意」についても同じ法則が当てはまります。

 

「悪意には悪意が返ってくる」

 

要するに、

現時点で誰かを蔑ろにしていたら、それは他でもない、

未来の自分を苦しめているだけなのだ、ということです。

 

 

 

これは

 

福善禍淫(ふくぜんかいん)

因果応報

 

とも言いますよね。

 

 

 

 

誰かから心ないことを言われたり

一方的にからかわれたりした時、

 

できることなら、

本当は仲良くしたかった

 

それができないなら、

せめて放っておいて

欲しかった

積極的に嫌がらせなんてしてほしくなかった

というのが本音だと思います。

 

 

 

当時、大学時代に嫌がらせを受けていた
私の場合はそうでした。

 

 

 

ですがここで先ほどの因果応報の話を

持ち出せば、

当時の私の状況は、他でもない

過去の私自身が作り出したもの

ということになるんです。

 

 

 

・・・ここで少し、告白させて下さい。

 

私は思春期の頃、

 両親に大いに反抗していました。

 

干渉されるのが嫌で、そのたびに

相手が傷つくようなことを平気で言いましたし、

 

 

また、きょうだい喧嘩があれば、

精神的に傷つくようにと

口汚い言葉で

罵ったりしていました。

 

 

 

 

 

・・・それこそ、

「キモい」「ウザイ」などという言葉を、

平気で言える人間でした。

 

また、10代の頃は、

学校の先生の悪口や噂話で盛り上がり、

それは結果として、

先生方の迷惑になっていたと

思います。

 

 

・・・そうなんです。

大学で嫌がらせを受けた際のエピソードを、

あたかも自分が被害者であるかのように

これまで語ってきましたが、

 

結局それは、

自分の因果応報

自業自得だったんです・・・。

 

 

 

育ててもらった両親に

大切なきょうだいに、

心ない言葉を投げ掛けたこと、

噂話の加担者になって

先生方にご迷惑をおかけしたことを、

今でも後悔しています。

 

いくら謝っても

謝り足りませんし、

 

今も深く深く反省しています

 

 

 

 

 

・・・因果応報はないとおっしゃる方もいますし

因果応報は

それを信じる人にだけ訪れるとおっしゃる方もいます。

それが本当かどうか、私にはわかりません。

 

 

 

ですが、私の場合は、

自分のしたことがあまりにも

そのまま返ってきたので、

過去の自分の行いを

自覚せずにはいられませんでした・・・。

 

 

 

今、嫌がらせを受けて苦しんでいる方々へ、

もし、今の状況がご自身の因果応報だったとして、

過去の自分の行いを思って、

ご自身を必要以上に責める必要はないと思います。

(私の場合は大いに自分を責めていましたが・・・)

 

迷惑をかけた人たちへの謝罪の気持ちと、

同じ過ちを繰り返さない、という信念を持つためにも

まずはどうか、自分自身の心を救ってあげて下さい。

 

 

 

 

また、周りに嫌がらせを受けている人がいたからといって、

それはその人の因果応報だと決めつけるようなことはどうかやめて下さい。

 

これに関しては、

私は詳しくないのでわかりませんが、

ご本人の不幸が本人自身の因果応報とは限らない場合もあるそうなので、、、

(曖昧も曖昧ですみません・・・)

 

 

 

考えてみると、

もしかしたら嫌がらせをしている人達も、

私生活で何か問題を抱えているのかもしれません。

 

 

家庭内でいじめられていたり、

経済的に苦しい状況下にあって、

フラストレーションが溜まっていたり、

自分だけではどうにもしようがない環境下にあって、

押さえきれないストレスが、

他人への攻撃になって、

たまたまあなたがその標的になったのかもしれません。

 

 

とにかく、

今孤独で、辛い境遇におられる方、

周りの人が何と言おうと、

どうかあなただけは、あなた自身の味方でいてあげてください

 

あなたに、

いつでもこの人の味方でいてあげたい・・・。

そんな大切な人がいるなら、その人が自分と同じつらい境遇にあったとき、なんと言って励ましてあげるでしょうか?

 

辛かったら、もう逃げていいんだよ

これまで、本当によく頑張ったね、もう苦しまなくていいんだよ

あなたには、幸せになる権利がちゃんとあるんだよ

 

・・・思い付いた言葉を、ぜひ自分自身にかけてあげてください。

あなたの人生はあなたのものです。一度きりの人生を、望む人生を生きる権利が、あなたにはあります。

 

もし今の状況から抜け出せたら、あなたは何がしたいですか?

 

好きな人たちに囲まれて、たくさん笑って、

一日一日が、楽しさで満ちあふれている・・・

 

そんな明るい未来を、

希望に満ちた未来を

心の中に思い描きながら、

試練を乗り越えるエネルギーを蓄えていって下さい。

 

 

 

自分を好きになれるなら、

周りの人のこともきっと好きになれます

 

 

 

どうか自分と敵対している人達に対しても、

その人達の事情を汲んだ好意を見せてあげて下さい。

 

因果応報があるから人を大切にする、というのではなく、

人類皆兄弟で、

遡ればみんな、ご先祖さまを同じくする一心同体なんだという思いで

人と関わっていくのが良いと私は思います。

(自分にとって

大切な人を慰めるように自分に語りかける

という啓発の仕方を教えてくれたのは、

ケリー・マクゴニガルさんの

『スタンフォードの自分を変える教室』です。

自分らしい人生を生きていく上で大切になる信念や理想を、

こちらの本から学びました。)

 

 

 

 

美しい連帯

 

最後になりますが、

人を敵とみなしたら、それだけで人生は悲しいのかもしれません

 

 

 

 

何らかの目的で結束する際、

生き物の性質として、

 

グループの外に敵を見つけることで

団結力を深めることが

多々ありますが、

 

私たち人間も、例に漏れず

そのような結束の仕方をしてしまうことが

あるかと思います。

 

 

でも、

敵の存在を必要としない団結の仕方も

あるんじゃないかと私は思うんです。

 

 

例えば、

スポーツで言うところの敢闘精神

 

競技の間こそお互いに火花を散らして

競い合いますが、

 

試合前には握手をしたり、

 

礼節を持って

敬意を持って

 

相手に接します。

 

 

 

それは、

 

競技を通じて己の技を磨き、

お互いに切磋琢磨する

 

という崇高な精神があるからでしょう。

 

競技相手は、敵ではなく

あくまでも競い合えるライバル

という認識がスポーツ界では

共有されているのではないでしょうか?

 

 

スポーツ界だけでなく、

敵の存在を必要としない

団結の仕方というのは、

他の様々な場面においても

考えられるように思います。

 

 

だからこそ、

本当は誰かを敵視する必要はない」ということに気が付いてくれるよう、

相手の幸せを願ってみるのもいいかもしれません💡

 

その人たちが精神的な成長を遂げて、

あのときはあんなことして悪かったなあ、

申し訳なかったなあ……と反省してくれたら、

意外とそれで気が済むものです。

 

 

そういう風に

相手の成長を願う、というのも素敵なことではないでしょうか

 

 

 

・・・と、理想ばかり語ってしまいましたが、

振り返ってみると

自分が嫌がらせのターゲットになったおかげで、

他の誰かが同じ目に合わずに済んだのかなとも思い、そう考えれば

気が晴れる部分もあります。

 

そんな気持ちになって

モヤモヤを解消してみるのも良いかもしれません。

 

 

・・・何はともあれ、

たくさんの方の知恵に助けられて

嫌がらせの乗り越え方を学んだミツムジは、

 

周りの人を好きになることで

どんどんどんどん味方を増やし

 

いろいろな人に支えられながら

何とか無事に大学を四年間で修了

卒業後には、

めでたく社畜になったのでした♪

 

 

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この記事を読んでいらっしゃる方が、

晴れやかな気持ちで前に進んでいけるよう、

祈っています♪

 

今回の記事はとても長くなってしまいましたが、

最後までお読み頂き、ありがとうございました!!

 

 

 

 

《参考文献》

 森元孝(2014)『理論社会学:社会構築のための媒体と論理』東信堂.

ケリー・マクゴニガル(2012)『スタンフォードの自分を変える教室』神崎朗子訳、大和書房.

 

 

【追記】

念のため、誤解があるといけないので書いておきますが、

嫌がらせをしてきた人は大学の一部の人達で、

元々味方になってくれていた人もたくさんいました。

サークルにも入ってたのですが、今の若い人達って、

礼儀正しくてほんわか優しい人が多いですよね💡

みんながみんな、互いの違いを認め合って、

仲良く暮らせる時代がくればいいなあ

と思うばかりです。