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不思議なる宇宙を曇らせるもの―国木田独歩『牛肉と馬鈴薯・酒中日記』

 

 

こんにちは、ミツムジです。

 

 

今日はこちらの本の書評を記事にしま~す。

 

 

 

www.shinchosha.co.jp

 

 

 

新潮社から出てる短編集

国木田 独歩(くにきだ どっぽ)の『牛肉と馬鈴薯・酒中日記』です。

 

 

 

 

「・・・てゆうか、馬鈴薯って何ぞ?」って感じですが、

 

馬鈴薯とは、でんぷんたっぷり「じゃがいも」のことです。

 

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「ばれいしょ」と読むことが多いですが、

この作品の場合は「じゃがいも」でいいみたいです。

 

ですから、この作品のタイトルは

ぎゅうにくとじゃがいも」と読みます。 

 (あと「酒中日記」は「しゅちゅうにっき」です。)

 

 

 

 ところでじゃがいもといえば、

みんな大好きポテトチップスのコイケヤさん💡

そのコイケヤさんのカスタマーサポートページに馬鈴薯について

素晴らしい解説書きがあったので、紹介しておきますね~

koikeya.co.jp

 

 

 

 「つーか、そもそも国木田独歩って誰よ?」という方、

国木田独歩って、こんな人です。

 

 

国木田独歩とは・・・? 

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出典:国木田独歩 | 近代日本人の肖像

 

国木田独歩は、「国民新聞」の従軍記者として軍艦に乗り、

『愛弟通信』を連載して名をあげた。貧窮に耐えながら、

田山花袋・柳田国男らと『抒情詩』(明30)を出すとともに、

少年期の生活体験を素材とした処女作『源をぢ』(明30)を発表。

以来、浪漫的香気にみちた清新なリアリズムの短編集『武蔵野』、

代表作『富岡先生』『牛肉と馬鈴薯』『正直者』『少年の悲哀』『春の鳥』

などを収めた『独歩集』(明38)を刊行した。

晩年には、『竹の木戸』『窮死』などを書き、

独自な自然主義者としての独歩時代を形成した。

(引用元:谷山茂・猪野謙二・村井康彦・本多伊平編(2002)『新訂国語総覧<第二版>』京都書房.)

 

こう言っちゃうと元も子もないですが、

一言でいうと明治時代に活躍した作家さんです。

 

 

文体は朴訥とした感じで、ぶっきらぼうなのですが、

お話の中で語られる哲学が、何というか、、、

当時の社会から見たら独特で、

とっても精錬されてたんです。

 

 

だからすごく人気が出たみたいで、

今でも国語の教科書に

必ずと言っていいほど取り上げられてます。

 

 

新潮社から出ている『牛肉と馬鈴薯・酒中日記』は、

独歩の短編集として刊行されたものですが、

全部で16の作品が収録されてます。

 

短編集なので、

作品の一つ一つが短いのですが、

独歩独自の考えがギュッと詰まっていて

かなり読み応えがあります。

「人生」というものについて突き詰めて考えたい

というタイプの方は、

読んでいて得られるものが多いのではないでしょうか?

 

 

 

夏目漱石の『坑夫』もそうなのですが、

当時は今と違って差別語の規制があまり厳しくなかったので、

中には、

「その言い回し大丈夫なの・・・?」というような差別語が

ちらほらと見られるものもあります。

(例えば「春の鳥」という作品は、

知的障害を持って生まれてきた子のお話ですが、

作中では別の言い方で、かなりあけすけな表現がされています。)

 

 

ですが、実際にこの本を手に取って

読んで頂ければわかるかと思うのですが、

独歩の場合、

人を差別する意味でそのような言葉を

使っているのでは全くないと思います。

 

 

むしろ、「どの人も、同じ心を持った人間なんだ

というような博愛精神が随所に感じられて、

人のあり方について、深く考えさせられます。

(私は「春の鳥」で障害を持つ少年の

無邪気で純粋な精神に胸を打たれました。)

 

 

ということで今回は

『牛肉と馬鈴薯・酒中日記』に収録されている作品の中で、

牛肉と馬鈴薯」と「空知川の岸辺」についての書評をしたいと思います。

 

 

「不思議なる宇宙を驚きたい」ー独歩の哲学

「牛肉と馬鈴薯」「空知川の岸辺」では、

独歩の「不思議なる宇宙を驚きたい」という

独自の願望が、作品の配色として色濃く現れてきます。

(言い忘れてましたが、

独歩の作品は独歩自身を主人公のモデルとしたものが非常に多いです。)

 

 

「不可思議なる大自然」に「驚異」することが、

独歩の終生の願望であったが、中でも「死」という事実を直視し、

「死」そのものの秘儀に打たれることは最大の願望であった。

(引用元:国木田独歩(2013)『牛肉と馬鈴薯・酒中日記』新潮文庫.)

 

 

 

例えば、「牛肉と馬鈴薯」の中には、次のようなセリフが出てきます。

明治倶楽部(←当時あった懇親会の名前)に集まった友人たちとの議論の最中、

作者の分身である「岡本」のセリフ

 

 

「宇宙は不思議だとか、人生は不思議だとか。

天地創生の本源は何だとか、やかましい議論があります。

科学と哲学と宗教とはこれを研究しーーー中略ーーー

悶(もが)いて居る、

僕も大哲学者になりたい、

ダルウィン跣足(はだし)というほどの大科学者になりたい。

若しくは大宗教家になりたい。

併し僕の願いというのはこれでもない。

 (※「ダルウィン」とは、進化論を唱えたダーウィンのこと。

「跣足」は「その道の専門家以上に優れていること」の意味)

 

ーーーーーーーーーー中略ーーーーーーーーーーー

 

「吃驚(びっくり)したいというのが僕の願いなんです」

 

ーーーーーーーーーー中略ーーーーーーーーーーー

 

「宇宙の不思議を知りたいという願ではない、

不思議なる宇宙を驚きたいという願です!」 

(引用元:国木田独歩(2013)『牛肉と馬鈴薯・酒中日記』新潮文庫.)

 

 

このすぐ後に、

「愈々(いよいよ)以て謎のようだ!」

という友人のセリフが出てくるのですが、

本当に謎です。

何を言ってるんだか本当によくわかりません。

 

 

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この部分を読み、改めて私は思いました・・・

不思議なる宇宙を驚きたいって何なのだろう・・・?』と。

 

 

 

そんなわけでこれから、

「不思議なる宇宙に驚きたい」

浮き世離れも甚だしいこの願望が、

一体どんな信念の元に成り立ってるものなのか

ちょっと自分なりに考察してみたいと思います。

 

 

 

 

懇親会に集まった友人との議論の途中、 

岡本は言います。

人間は二種に分かれるのだと。

その二種とは、「驚く人」、そして「平気な人」です。

 

 

 

岡本によれば、作中に登場する友人たち七人は

いわゆる「平気な人」であり、

そして詩人、哲学者、科学者、宗教家、学者、政治家でさえも、

「皆な平気で理屈を言ったり、悟り顔をしたり、泣いたりして居る」

のであって、驚いている人ではないといいます。

 

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「世界十幾億万人の中、平気な人でないものが幾人」あるか

わからないといえるほどに、

「驚く人」は希少であると言ってのけるんです。

 

 

それは、その幾人かを除いた人が皆、

習慣の眼が作る処のまぼろしを見て居るに過ぎ」ないからだと、

岡本はそう言います。

 

 

 

三つ子の魂百まで」とはよく言いますが、

これはフロイトの性発達性理論によく通じるものがあります。

 

ある人の性格は、0歳~12歳ごろまでの両親との関係によって形成される、

そしてその気質が一生涯に渡って保存されるというやつです。

 

 

 

おそらくは習慣も、気質と同じようにして形成されるのかなあと

ミツムジはそう思ってます。

 

 

 

母親の体から出て、世界との関わりを得られた後に、

様々な人の声を聴き、様々な人の行動を見て、その生活様式を真似ていく、、、

そうして得られた習慣が、その人の「当たり前」として感受されてくんですよね💡

 

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もちろん

習慣っていうものは、

土地によって受け入れられる文化の違いとか

生活様式、流行の移り変わりによって、

時代ごとに変遷していきます

 

 

 

時代の過渡期に遭遇しているのであればなおさらです。

とはいえ、一度根付いた習慣は、簡単にはその様相を変えませんし、

その人の感受性を担う柱として、形態が変わっても機能し続けるのだと思います。

 

 

 

それでもって自分の状況を俯瞰しなければ

「今私たちはこの習慣の中に生きている」

ということさえ意識に上らない程、

それが当然のものとして認識の表層を覆っています。

 

 

 

岡本のセリフにある

習慣の眼が作る処のまぼろし」って、

表層を覆ってるその認識のことを言っているのかなあと思うのですが、

では、

その認識を取り払ったときに見える「宇宙」というものがあるとしたら、

それはどのようなものなんでしょう・・・?

 

 

ちょっと長くなりそうなので、

ここらへんで一回切って、

次回へ続きます!!

 

 

最後までお読み頂き、ありがとうございますm(_ _)m

 

 

 《引用元・参考文献》

国木田独歩(2013)『牛肉と馬鈴薯・酒中日記』新潮文庫.

谷山茂・猪野謙二・村井康彦・本多伊平編(2002)『新訂国語総覧<第二版>』京都書房.